|
|

|
■アポロ計画 1967年~1972年
もともとはマーキュリー計画、ジェミニ計画に続く第3の有人ミッションとして計画されていたのですが、ケネディ大統領の議会での演説で、有人月面着陸探査計画にその姿をその性格・目標を劇的に変えたのでした。
「…私は、今後10年以内に人間を月に着陸させ、安全に地球に帰還させるという目標の達成に我が国の国民が取り組むべきであると考えている。」(1961年5月25日)誰もが不可能、無謀、荒唐無稽、と思った、月への有人着陸計画でしたが、明確にコトバになった途端、実現に向け動き出し、更に誰もがご存知のように、実現してしまったのです。
以後、ジェミニ計画での様々な技術の実用化を経て、1967年11月のアポロ4号以降、数ヶ月に1度のハイペースで次々とミッションは遂行され、1969年7月20日16:17、アポロ11号が遂に月面有人着陸に成功します。 |

▲アポロ初代乗組員の3名 |

▲成功して降り立った11号 |
10年前、誰もが信じられなかった10年後が現実となったのです。日本では7月21日の
5:17、このとき初めて徹夜でテレビに見入るという経験をした大人たち子供たちがなんと多いことか、また同日通訳の妙な生々しさに触れたのもこのときだったのではないでしょうか。
あまりにも衝撃的であまりにも世界の注目と関心を集めた11号のミッションは、実はアポロ計画の分岐点になります。米国にとってアポロ11号の有人月面着陸でいわば「国家目標」は達成されてしまったのです。11号のミッションを境にアポロ計画は次第に話題や関心を失っていきました。
しかし、学術的あるいは以後の宇宙ミッションや研究さらには応用にと、むしろ実質的な貢献は12号から17号までのミッションにあるともいわれています。
例えば15号では月面探査車が走ったり、3日間飛行士が月に滞在して睡眠をとったりと、じっくり見ていくと興味深いものばかりです。 |
|
|
|
 |
|
 |
TOPページへ | アポロ関連グッズ
| 月の土地って?
| アポロ計画とは? | アポロ・トリビア
|
Copyright(C) 2019 Lunar Embassy Japan co., ltd. All rights reserved.
|